umipan

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雲南旅行 9日目

■10/23 
朝5時に一度起き、MKちゃんが空港行きのタクシーに乗るのを見届けて、また寝る。 
次に目を覚ましたら9時で、廊下に出るとRさんが学校へ行く支度をしていた。今晩はひとりなので、ドミトリーに移らせてもらうことにする。荷物をまとめて、2階の奥の部屋へ行くと、A君が起きてきた。パッキングをしたらすぐに大理へ発つというので、バスターミナルまで送っていくことにする。 
昨晩も食事をした食堂の前を通りかかり、外に面したコンロで調理をしている女の子にA君が手を振ると、女の子は、本当に行っちゃうのねという表情で手を振った。私がまた戻ってくるらしいことは、軽装だったのでわかったようだ。 
古城地区を出たところで、A君が突然「最後にどうしても食べておきたいものがあるんだけど、お腹すいてる?」と聞いてきた。うん、すいてる、と答えると、毛沢東のそば(ノートにはこう書いてあるが、新市街のもっとはずれだった気がする)の食堂に足を向けた。A君は麗江に長く滞在していたので、この食堂でも顔パスで、頼んでもいないのに食事が出てきた。といってもメニューは小龍包と米線だけらしく、単品でどちらかを頼むか、セットで頼むかが唯一の違いのようだった。小龍包は皮が厚く、どちらかというとミニ肉まんといった趣だったが、たしかに、この町を離れる前に食べておきたいと思うのも無理からぬ味だった。各自に、4つ入りの蒸し籠が3段提供されて、私は3段とも食べると米線が食べられなくなりそうだったので、のこりの1段はA君に食べてもらった。道路には洗い桶が出してあり、店のおばちゃんが暇を見つけて蒸し籠を洗っていた。 
A君は、どこかほかの町で一緒に行動していた欧米人が、no cleanとか言ってこういう町の食堂に入りたがらず、むかついた、と話していた。私も昆明ではお腹をこわすのが怖くて屋台の食事を避けていたが、そんなことはすっかり忘れてA君に同調し、これだから欧米人は、などと悪態をついた。 
食事を終えてバスターミナルに行くと、大理行きのバスは2分後と1時間後にある、2分後のものに乗るなら急いで、と言われていた。A君は一瞬迷っていたが、やっぱりこのバスで行くね、と私に言った。私はそのとき、1時間後のバスにしてくれるといいなと思っていた自分に気がついて、ちょっと驚いた。握手をした後、メール書くね、と言い残して、A君はバスに向かって走っていった。 

まっすぐ宿に戻ったら正午だった。誰もいないので日記を書いたり荷物の整理をしたりして、Rさんが学校から帰ってくるのを待った。Rさんは帰ってくるなり、ああもうめんどくさい、テープで自習しなきゃいけないんだって、と言った。 
私は明日の早朝に麗江を出るので、二人で川沿いの眺めのいいカフェに行くことにした。レモネードを飲みながら(Rさんはそこで昼食を食べていた気がするが、何を頼んだかは覚えていない)、Rさんが世界一周したときの話を聞いた。8年前の話だ、というので、Rさん一体いくつなの、と聞いたら、私より9つも年上だった。2年ぐらい会社に勤めては、辞めて半年ぐらい旅に出て、また働いて旅に出て、という生活をしているといった。
Rさんは大阪で恋人と暮らしていると聞いていたので、半年も留守にして怒られない、と訊いたら、半年ぐらいで怒られたらつきあってられないよ、という答えが返ってきた。そんなもんかな、と思った。umpちゃんは恋人いないの、と訊かれたので、いないと答えると、それなら、2年ぐらい旅に出ちゃえばいいのに、と言われた。何と答えていいかわからなかったので口ごもっていたら、日本に何か心残りがあるんだね、と勝手に結論を出されてしまった。その人とはうまくいきそうなの?とか、一緒に旅行できそうな人?とか訊かれたので、全然わからない、そうであるといいが、と答えた。 
Rさんの話で覚えているのは、中米では「チーナ、チーナ(中国人)」と言われ続けてうんざりしていたが、南米に入ったらそんなことを言ってくる人はおらずうれしかった、という話と、南アフリカで勝手がわからず治安の悪い地区に宿を取ってしまい、歩行者用の信号では絶対に立ち止まるな、棒持って襲ってくるぞ、と周囲の人にさんざん注意されたという話のふたつ。Rさんは、特定の国に対して好悪の感情を持たない人のようで、安心して話を聞いていられた。 

丘は眺めがいいから、一度上ってみたらいいよ、と言われたので、Rさんと別れてひとりで坂道を上った。ひどく息切れしたが、瓦葺きの屋根がびっしりと並ぶ古城地区全体を見渡すことができた。高知城天守閣からの眺めを思い出した。 
丘には土産物屋が多くあり、何軒かのぞいたが割高な気がしたので、四方街に戻った。旅行者で込み合っている銀製品の店があったので、細工をした銀の箸の値段をたずねたら、坂の上の店よりもずっと安かった(210元)。すべての商品は銀の重さで値段が決まっているようなので、値切ることはできないだろうと思ったが、「2双(2膳)=400元」とノートに書いて、「ハオマ?(いいですか?)」と言ってみたらあっさり負かった。これを母と祖母へのお土産に決める。 

サンダル履きで足が疲れたので、一度宿に戻って昼寝した。夕方に新市街に出て、市場で白×赤のスニーカーと、ビール瓶を模した爪切りを買う。どぎつい色の毛糸がたくさん並んでいて、欲しくなったが我慢した。 
スーパーに寄ったら、大熊猫(パンダ)印のコンデンスミルクを発見し、コンデンスミルクなんて全然好きじゃないけど、缶が欲しかったので買う。重たい。 
宿に戻ったら、部屋にはRさんしかいなかった。コンデンスミルクを見せびらかしたら、私もあした買うと言っていた。パッキングをしていたら、7時過ぎに、昨日の大理男が食事に行きませんかと誘いにきたので、3人で夕飯を食べにいく。いつもの食堂で、焼きそばのようなものと、スープと、昨日と同じ土鍋ごはんを頼む。ただで出てくるきゅうりの漬け物がおいしい。男性がまた妙な話(と書いてある。内容は覚えていない)をするので、イライラする。 

宿に戻ったら、麗江に住んでいる日本人のおじさん(Rさんが通っている学校を作った人らしい)が遊びにきていた。最後の夜を、あの大理男との語らいに費やすのかと思ってどんよりしていた私は、喜んだ。 
宿のおかみさんに宿賃を払いにいったり、空港までのタクシーを手配したりしていたので全部は聞けなかったが、おじさんはテレビ関係の仕事をしていたが、思うところあって職を辞し、大陸を横断してヨーロッパまで行ってから、一番居心地のよかった麗江に住み着いたということだった。すべてがそうあっさりと進んだわけではないだろうが、別段苦労したわけでもないという口ぶりだった。おじさんの話がタイに移ったとき、Rさんが、少女売春で有名なタイの町(名前は忘れた)に行ったとき、10歳ぐらいの女の子を連れて歩いている欧米人の中年男性がわんさかいて胸が悪くなったという話をしていた。大理男は、そうなんですかあという間の抜けた相槌を打ってその話を聞いていて、私も胸が悪くなりそうだった。とにかく私はこのおじさんがけっこう好きだった。もう話を聞くこともできないと思うと残念だった。 

11時頃、お湯が出ることを確認してからシャワーを浴びた。12時頃、RさんにトイレットペーパーとTシャツをあげて寝た。