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雲南旅行 4日目

■10/18 
朝9時にきのうの楊さんと駅前で待ち合わせていたが、私たちは5分ぐらい遅刻してしまった。私たちが挨拶すると楊さんはちょっと咎めるような目をしていた。怒っているのかなと思ったけど、どうやら照れているらしいとわかって安心する。 
西山行きのバス停までの10分弱の道のりを、彼はどんどん先に歩いていき、私たちは彼を見失わないようにするのが精一杯だった。 
バス停が並ぶ大通りに着くと、彼はあたりでバスを待っている人たちに行き先を確認して、ここで待てと身振りで示すと、ヘッドフォンで音楽を聴きはじめた。 
私たちの乗るバスが来たようなので、運賃はいくらですか?と言うと「いい、いい」というしぐさをして、乗り込むときに三人分払ってくれた。一人2元ぐらいだったと思う。払おうとしても受け取ってくれないので、あきらめる。 
バスは通勤客と思われる乗客で満員で、楊さんはわたしの荷物を指して「小心、シャオトウ」と耳打ちした。泥棒に気をつけて、ということなんだな、と思ったので、「泥棒に気をつけてだって」とMKちゃんに伝えた。 
昆明の町はずれは道路わきに廃材のような黒いかたまりがずっと積まれていた。上にハイウェイが走っているのか、暗く、ゴミゴミしていて、不思議な場所だった。 
バスは20分ほど走ると郊外に入り、工場がたくさん並んでいるのが見える。乗客の大半がそのあたりで降りていった。 
昆明市街を出てからは、特に道を曲がったりしたような覚えもないが、1時間弱で終点の西山に着いた。公園という名前なので公園だろうと思っていたが、山だった。お互い言葉が通じないので、ずんずん歩く彼の後についていくうち、山に登ることになったようだった。山はこの公園の目玉なのかどうかわからなかったが、反対する理由も思いつかなかった。 
山道は舗装されておらず、スタート地点がもともと標高の高い場所なので息を切らしながら登っていく。彼は地元の人なのでひょいひょいと先に行ってしまい、ちょっと休みたいと言いに行くのにもまずは彼に追いつかなくてはならず、休むために走るという本末転倒な行動を何度も強いられた。 
筆談用に持っていたノートに、ここは標高が高くて空気がうすい、私たちはつらいです、という内容を漢字で書いて見せると、わかったとうなずいたのでそのへんの石に腰掛けていると、中国語で何か言ってきたので「わからないから、書いてください」とノートを渡すと、「いい、いい」と言って携帯電話を取り出して、「地面に座ると病気がうつる」というような内容を打ち込んだ画面を見せられた。そんな話聞いたことないけど、そう言われるとそんな気もするし、中国では一般的にそう言われてるんだろうな、と思ったので立って休むことにした。 
山道の途中にはとうもろこしを焼いて売っている人や、生肉を売っている人などがおり、この人たちはここに住んでいるのか、それともわざわざここまで商品を運んできて売っているのかは分からなかったけど、なぜか生肉はよく売れているようだった。 
楊さんは最初こそ口数が少なかったものの、しばらくすると色々と世話を焼いてくれ、下り坂で手を貸してくれたり、道を聞きに行ってくれたり、完璧なガイドだったが、「わからないから書いてくれ」と頼むのだけはダメで、何度も繰り返し中国語で言ってきて、それでも私たちがわからないようだと、携帯電話に打ち込んで見せてくる。友達にメールでもしているのかと思って日本語でしゃべっていると、私たちに伝える内容だったりするので油断できない。 
筆談してくれないのは字が汚いかららしいのだが(絵は描いてくれる)、日本の家はどんな家かという話をしているときに珍しく「日本的家」と書いて見せてきたので、それを見てMKちゃんが「あなたの字は汚くないですよ、問題ないですよ」と書いたら「いや、ダメだ」と言われてしまった。 
山道では、たべられる木の実を取って私たちにくれたり、道ばたに落ちている棒を拾って振り回したりしている。よく見ると頬には幼い頃にした傷が残っているので、私たちは彼を野生児と呼ぶことに決めた。高校生のように見えるが歳は23だ。 
山はどこが頂上なのかわからないうちに下り坂となり、どこから仕入れてきたのか「湖を渡るロープウェーがある」と野生児が言うので、その乗り場を目指して山を下りることにする。 
野生児が途中で色々な人に道を聞いてくれたのだが、結局迷い、草むらのようなところで行き詰まってしまった。私たちを草の中に残して野生児は道を聞きに行ってしまい、30分ぐらい待たされて心細くてたまらなかった。見たことのない雑草がはえていた。 
その草むらを出てからは順調に山を下りることができ、目指していた竜門(ロープウェーの乗り場)にもたどり着けたが、料金が高いので、乗るのをやめて階段でふもとに下りる。山を下りたところに馬車がいて、野生児がお金を払って私たちを乗せてくれた。私たちをロープウェーに乗せられなかったので、その代わりなんだろうなと思った。彼は手綱をひくおじさんにたばこを勧めて、自分も吸っていた。馬車はゆっくりと湖にかかる橋をわたり、日が傾きかけたころに対岸の町へ着いた。昼食をとっていなかったが、おなかはすいていなかった。 
湖の周りを三人で散歩してとても気持ちがいい。湖は静かで明るく、美しかった。野生児は野生児らしく釣りが趣味だと言っていた。日本のCDを聴いているというので見せてもらったが私たちは知らなかった。 
湖から少し歩いたところに小さな町があり、そこから昆明行きのバスが出ているらしい。湖からバス停まで歩く途中にも、服につくトゲトゲの草を取って私たちの服に投げつけてきたり、花を取ってくれたりした。 
バス停に着くとバスはもう来ていて、すぐに乗ることができた。バスの中で住所を聞いたら、手帳に貼り付けてあったIDカードのコピーを引きはがして私にくれた。私たちは今日のお礼で、夕食をおごらせてほしいと頼んだけど、それに対する返事はなかった。 
バスが昆明に着くと、野生児が家に夕飯を食べに来ないかと言うので、ここまでお世話になったついでだと思い、行くことにする。昆明駅のそばにご両親と住んでいるというので駅に向かって歩いていると、私たちがお茶を買いたいと話したことを思い出したらしく、お茶屋さんに寄ってくれる。半額ぐらいに値切ってくれ、試飲のお茶も何杯も出してもらった。たくさん買うと安くなるようだったので、私たちは二人分まとめて買った。 
楊一家は駅裏の鳥カゴのような団地に住んでいて、野生児はやっぱりひとりっ子だった。犬と大きな白い猫がいたが、日本と違ってペットは飼い主と一定の距離を置いて飼うものらしく、足蹴にされていてかわいそうな気がした。 
お母さんはおとなしく、トゲのない感じの人だった。夕飯を食べる頃になってお父さんが帰ってきた。お父さんも警察官らしく制服を着ていた。 
夕飯にはおかずを沢山出してもらった。じゃがいもの炒め物とトマトと卵の炒め物がとてもおいしかった。お父さんは上機嫌だった。「少ししか食べないから小さいんだ、もっと食べろ」と言われたので、もっと食べた。 
3対2になると筆談もしていられないので、何か訊かれたら、頷くか、インチキ中国語で答えた。中国語が話せなくてごめんなさい、と書いて見せたら、なに言ってんの、という感じで笑われた。 
この日の夜の便で香格里拉に行くことになっていたので、7時ごろおいとまする。お母さんが梨をくれた。 
もうあまり時間がなかった。野生児が空港まで送ってくれるというので、駅前でタクシーを拾って、いちど茶花賓館に寄って荷物を取り、そのまま空港へ向かった。間に合いそうになかったけど、地元の人がいたおかげか、タクシーが飛ばしてくれたので間に合った。タクシーの中で、二人でお礼の手紙を殴り書きした。 
空港では野生児が私たち二人分の荷物を持ってチェックインカウンターを探してくれた。
搭乗ゲートに入る直前に、手紙と、タクシー代として50元札を渡したのだけど、お金は怒って突き返されてしまった。後で、「あれは余計なことをしてしまったね」と話した。

香格里拉の空港に着いたのは夜10時ごろで、中心部までタクシーに乗ったら夜空に信じられないほど星が出ているのが見えた。 
香格里拉の町は小さく、メインストリートが1本で、その通り沿いにほとんどの宿がある。夜なので寒かった。 
雪蓮飯店という宿に行ったら満室だったので、その斜め向かいにある並格賓館に行く。二人で120元と言われ、歩き方に乗っている料金よりも安かったのでここに決める。部屋は安普請だけどきれいで、バスルームはヨーロッパのホテルみたいだった。 
お風呂からあがったら、テレビで革命現代京劇をやっていて、あまりの面白さに夜中の1時すぎまで見てしまう。さすがに疲れているので最後までは見られなかった。「智取威虎山」というタイトルを控えて寝る。